2020年05月21日
ヨガを少し深く学ぶと、
ヨガには哲学があることに触れます。
ヨガは一般的には、
体や心に良いものとして、
または、日々行う運動として行う人も多いでしょう。
もちろん、それでOKです。
生徒さんから連絡がきて、
「朝、NHKを見ていたら、腰痛、肩こり、コロナ太り解消についてやっていて、
まさしくいつもやっているヨガの動きと同じでした。」
新聞を見ていても、
「これ、ヨガのポーズにあるよね。」
というものが多いです。
体にとって効果があるということです。
「バガヴァッド・ギーダ」「ヨガ・スートラ」は
ヨガの世界では有名な哲学の書です。
土曜日、日曜日に哲学の講義を受けました。
トップページにも書いてありますが、
私がヨガの世界にはまったのは、
哲学があるということ。
心とは
自分とは、
この世とは、
わからないことだらけ。
心を癒すとか、
気の持ちようとか、
あっさりいうけど、
心臓のように臓器があるわけではないし。
医学の進歩で、
不安や恐怖や幸せなど、
脳のMRIとかや脳波をみる機器や
ホルモンの研究など
わかりつつあるものもあります。
怒りの時、
脳の血流はこうなっているとか、
交感神経が高くなっているとか、
寝ている時
このような脳波だとか。
でも、それがわかっても、
「心穏やかにし、幸せに生きていくには。」
の答えを返してくれるわけではありません。
ヨガの哲学はそれの道しるべをしてくれるものなのです。
私は、まだごく一部しか勉強していないひよっこですが、
それでも、心に響くものがあります。
インドで発祥している聖典なので、
日本人にはピンとこないこともありますが、
インドの国民性やその当時の歴史を知ってから学ぶと
「なるほど。」
と思います。
それに、日本には仏教がありますので、
聞いたことのある言葉も良くでてきます。
心の持ちようともいいますが、
心がよくわからなかったら、
持ちようもなにも。
さらに、どのようにしたら、苦から解放されるか。
実践まであります。
ハードルは相当高いですが。
今回、インドに住まわれている先生と
Zoomでの講義でしたが、
話を聞くかぎりだと、日本よりコロナの影響は深刻なようです。
ただ、空気や水は透き通るようになってきたと。
私の中に知識が増え、
また、ヨガの奥深さを目の当たりにした時間でした。